4 わたしの家
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3 神田さんの家
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2 中野さんの家
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1 本間さんの家
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5 井本さんの家
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6 喜田さんの家
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7 藤崎さんの家
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話は25年前に遡る。周辺は雑木林の丘に囲まれた、いわゆる新興住宅地に開発されようとしている、がらんとした土地。 翌年いちばん北に位置する敷地に家を建てることになる本間さんが、この界隈を所有する地主に頼んだ。全長100メートル足らずのこの通りだけは、周辺で大きな新興住宅地を計画している大手不動産会社に売らないでほしい。責任をもって20年の間に必ずいい通りをつくるから、と。そして、本間さんは知人を介して小井田さんと出合う。二人は意気投合した。公団や大手企業の計画する街は、建物のスケールも開発の方法も金額的にも、人間が住むスケールではない、自分たちで、ヒューマンスケールのやさしい通りをつくろう。 1981年、本間さんの家が完成した。次にその友人の中野さん、そして、小井田さん自身の家。外観のかたちも仕上げもまちまちだ。共通するのは、通りに対して高い塀や囲いがいっさいないこと。家と通りを隔てるのは主に植裁である。板塀を設けても、高さは90センチに抑えている。どの家も通りに対して閉ざしてはいない。 小井田さんの家ができた頃から、この通りが他とはちょっと違う、ということが傍目にもわかるようになってきた。そして4年前、小井田さん設計の家が全部で7軒になった。だれが名付けるともなく、通称「小井田通り」。この通りの既存の家に、小井田さんはパーゴラの設計だけを頼まれたこともある。ここに住む人々は、自分の家がこの通りに違和感なく調和してほしいと考えているのだ。もちろん快く応じた。 ここを散歩コースにしている人も近所に少なくないらしい。たしかに付近の通りとはまるで表情がちがう。これ見よがしにそびえる家がない。どの家も緑に隠れるように佇んでいる。そして夕方になれば、家々から白熱灯のあたたかい灯りが洩れる。たしかな暮らしの気配がそこにある。アプローチ、植裁、照明にまで配慮された計画が、奥行の深い通りをつくり出している。興味深いのは、この付近一帯で泥棒に一度も入られていない通りはここだけということだ。 かたく閉ざされていないから、長い間暮らすうちに住人同士はそれぞれの生活時間や靴音が、気配としてそれとなくわかってくる。だから不審者がいれば誰かしら気づく。オープンであることが、むしろ防犯に役立っている。オープンといってもそこに暮らす人のプライバシーを侵さない範囲。プライバシーというのは、知ってても知らぬふりをして生活することで守れるもの、設備でガードすることではないと小井田さんはいう。 この通りに特別なルールはない。武蔵野の面影を残す、雑木を中心にした植裁にしようという、ゆるやかな約束事だけ。 20数年の間に、事情があって家を売った人、海外転勤で家を貸している人も出てきた。子どもたちは成長した。「この通りにだんだんと家が建っていくのを見ながら育ちましたが、空気・光・風そして環境がしだいに良くなっていくのを実感した。不思議なもので、それが現在の造形作家としての仕事の基本になっているようです」と、本間純さん。前述の本間さんの子息である。 昨年、この通りの住人から庭の大きく育ちすぎたケヤキを高さ50センチくらいに切り、株立ちに仕立て直したいという提案があった。台風時の倒木や近隣への落葉が気になるという理由だった。小井田さんは「5年後にはまた元気な芽が出てきますよ」と平然としている。樹々の生命力への確信がある。 「どの家にもヤマモミジはかならず植えてあります。ヤマモミジは場所によって芽吹きも紅葉の時期も少しずつ違う。そんなことも楽しみの一つです。さしずめ僕は、このモミジ通りの住み込みの管理人といったところかな(笑い)」。 「小井田通り」はこれからも少しずつ変化しながら、それでもやっぱり道行く人がゆっくり歩きたくなる小さな街であり続けるだろう。 -住む No14号 特集「この街に暮らす」より- |
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